嘉禎元年秋(1235年)宗祖親鸞聖人が当国矢作宿柳堂(桑子、妙源寺)にご逗留のとき、高梨高直は聖人の弟子となり、名を誓海坊と改め、山中村に草庵を立て、恵心作阿弥陀仏を安置した。下って応仁年間(1467~1469年)8代信海は蓮如上人に随って六字の名号(南無阿弥陀仏の軸)を賜わり、長沢村に一宇を建て、乙葉山誓林寺と称した。その後長沢城主松平氏より古谷山の山号を賜わり、古谷山誓林寺(ここくさんせいりんじ)となり現在に至っている。(『音羽町誌』より)
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なお、現在の本堂は文政7年(1824年)に再建されたもので(棟木より)、住職は現住職で28代目になります。